May 18 – 19 Jazz Pianist 菅野邦彦 in NY!

poster

poster_eng
ニューヨークには、戦後の日本経済成長を支えた多くの日本人、日系アメリカ人の方々がお住まいです。日本へのご帰国が難しい方々に、その頃日本のジャズブームを盛り上げた菅野邦彦氏、東京六本木でオープンした初のジャズクラブ、Mistyの初代ピアニストが「昭和」の時代に人々を励ましたヒット曲の数々を演奏致します。応援に、現代音楽をリードするviolinist 木村まり氏の演奏と共に、昭和モダンボーイ&モダンガールにお届けします。

現代音楽をリードするジュリアード音楽院violist木村まり氏との共演はまさに一期一会。しかし、菅野邦彦と木村まりの共通キーワードとして、ブラジル、専門の楽器を超えた創造と制作、日本的原風景が重なるなど、感動のひとときをご提供できようかと思います。

 

 ▼ニューヨークと日本人

東海岸のニューヨーク。日本人の東海岸への移住は、主に、 貿易商、領事官僚、官費留学生(軍人)でした。

西海岸への移住日本人は骨をうずめる覚悟での移民に対して、 東海岸への移民は、明確な目的をもつ一時的な駐留であり、 時代も若干遅い時期に始ました。 明治維新後の1870年ころから移民がスタートし、 1880年ころには生糸貿易で資産を成す「佐藤新井組」 もニューヨークに興った。

その頃、アメリカでは産業革命の真っ只中であり、鉄鋼業、石油、 自動車、金融産業が勃興していた時期でした。 秋山真之のような海軍留学生も滞在していました。

1900年代に入ると、ブルックリンに日本人村ができ、 日本人会の前身となりました。マンハッタンでは、高峰譲吉、 野口英世らが活躍し、NY日本クラブが設立されました。戦時中の 西海岸での日本人への迫害の激しさに比べると、 ニューヨークでは不動産も資産も没収されることはなく、 差別らしい事態はなかったようです。 これは愛すべきニューヨークの気質ともいうべきもので、 ニューヨークには入植当時から宗教や民族に対する受け入れの下地 があったようです。戦後は、 ソニーの盛田会長など日本のメーカー、商社、 銀行のビジネスマンが日本経済を背負い、 駐在員という肩書きでニューヨークに渡り、 日本との通商に多大な貢献をしました。駐在員という名の通り、 皆任期があるため日本へ帰国する約束ですが、1970年代、 80年代ころからは、 永住する者が多くなってきた傾向のようです。

 

▼プロフィール:Jazz Pianist 菅野邦彦

Exif_JPEG_PICTURE
suganokunihiko.com

Jazz Club六本木「ミスティー」の初代ピアニスト。学習院大学卒業 後、当時(1962年)来日中のトニー・ スコットに認められメンバーとなる。大学時代から吉屋潤とクール ・キャッツのグループでの演奏活動、卒業後は橋本修とボヘミアン ズ、エディ岩田とポークチャップ、平尾昌章とボーイ・フレンズで 演奏活動。その後、鈴木勲(B)、ジョージ大塚(Ds)らとトリ オを結成、松本英彦(T. sax)カルテットを経て、トリオを結成。1960年代後半から 数多くのL・Pレコードを発表、日本で初のライブ・ レコードを発表した。72年からブラジル、NYなど8年にわたる 放浪の旅に。帰国後、活動を再開。世界唯一の鍵盤を考案し、 現在にいたるまで東京で活動を続けている。

友好のあったアーティスト達:

ホーレス・シルハ“一(P)、エロール・ガ一ナー(P)、ビル・ エバンス(P)、フィニアス・ニューボ一ン(P)、ハンプトン・ ホース(P)、リントン・ガーナー(P)、ハーピー・ハンコック (P)、ウィントン・ケリー(P)
アート・ブレーキー(Ds)、アル・フォスター(Ds)、 ソニー・ペィン(Ds)、ジョー・ショーンズJr(Ds)
ポプ・クランショー(B)、フランク・ロッソリーノ(T・B)、 トム・ハレル(F・Horn)
ボブ・バーグ(T・S〉、ジョアン・ジルベルト(G・Vo)、 ジョアン・ドナート(COMP・P)
アイアート・モレイラ(Ds)、ミルトン・バナナ(Ds)等々

↓YOUTUBEで曲を聴く↓

▼プロフィール:Violinist 木村まり
marisan

www.marikimura.com

木村 まり(きむら まり、1962-)は、日本ヴァイオリニスト現代音楽作曲家アメリカ在住。[1]早稲田大学理工学総合研究センター音響情報処理研究室研究員、ジュリアード音楽院にてインタラクティブコンピューター音楽演奏の講師[2]。ヴァイオリンの調弦を変えずにG線から一オクターブ低い音を出す「サブ・ハーモニック奏法」を確立したことで注目を浴び、このテクニックを応用した作品を次々と発表した。アメリカ現代音楽協会(ISCM)リサイタル賞、1996年に「ヴァイオリニストとしての創造的活動に対して」中島健臓音楽賞を受賞。1995、1997、2000年度国際コンピューター音楽祭(ICMC)音楽部門審査員。

2000年に国際コンピューター音楽祭(ICMC)委嘱賞を作曲家として受賞。2002年「ALT」でISCM香港大会に入選[4]。2004年1月には、音楽ロボット「ギターボット」とのプロジェクトに対し、ニューヨーク州芸術評議会(New York State Council on the Arts)から助成金を賞与される。2006年度ニューヨーク芸術基金(NYFA)賞受賞[1]。 2010年には作曲家としてグッゲンハイム・フェローシップ、パリの電子音楽音響研究所IRCAMにレジデント作曲家として招待される[7]。また、ハーバード大学のフロム基金より作曲委嘱賞を授与された。また、カーネギー財団の2011度「アメリカの誇る外国人」唯一の日本人として選ばれ[8] 、「ニューヨーク・タイムズ」紙に掲載される(前年度の日本人はオノ・ヨーコ)。

 
NYへの渡航費、滞在費など、クラウドファンディングにてご支援をいただいております。

インターネットによる「応援のご寄付」が困難な方は、下記口座宛のお振込みでお願いします。

三井住友銀行
川崎支店
8335079
菅野邦彦後援会代表 青山敬之助

 

Advertisements

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s